阪神大震災の体験者さんからの記録

阪神淡路大震災を経験しました。
当時私は大学生だったので、神戸に住んでいる友人もいてとても心配でした。
当然携帯電話は繋がらず、自宅の固定電話も繋がらずただただ心配する日々でした。

 

 

 

しかし、私の家も損壊しているので友達の安否だけでなく自分の生活も心配しなくては行けなくて本当に辛かったです。
地面が陥没して家ごと潰れてしまった友人や1階に寝ていてそのまま圧死してしまった友人が数人いました。
神戸方面に住んでいて助かった友人はたった1人です。
その友人の無事が確認できたのは震災から10日ほど経った時のことでした。

 

 


同じ大学でたくさん笑ってお茶をしたりカラオケに行ったり、また明日もそんな楽しい日々を過ごせると思っていたのに突然こんなことになってしまうなんて・・・。

たくさん泣きました。
本当に悲しかったし、友人たちの亡くなった状況を思えばどうか苦しむことなく亡くなったことを願うばかりでした。
老人になって友達を亡くしてしまうことは仕方ないと思います。
でもまだ20歳くらいの人生これからの友人たちを亡くしてしまうのは本当に苦しくて苦しくてこんな気持ちを表現する言葉を知りません。

阪神淡路大震災で感じた事について【二人目】

阪神淡路大震災の時に感じた事についてお話します。近畿地方を中心にかなりの被害がでましたけど、四国でも震度4の地震が起こり体験したのです。
四国ではあまり大きな被害は出ませんでしたけど、神戸を中心に、多くの建物が崩壊したり、火災が起こったりなど多くの被害がでたのです。それがテレビなどでも中継されて、改めて地震の威力のすさまじさを感じることになったのです。

 

もし、あのような大きな地震を体験する事になったら、自分の身を防ぎきれるのか、被害を最小限におさえる事ができるのかと不安になったりもしたのです。
それと同時に、自分の身を守るために地震対策を日ごろからしなければならないという事を感じたのです。対策をしているのとしていないとでは大きな違いがある事も分かったのです。
阪神淡路大震災でも、タンスなどの下敷きになってしまった人が多いです。つまり、家具の固定は必須だと感じる事ができましたし、食料もためておかなければいけないと感じる事ができたのです。
その当時は、まだ小学生でしたけど、学校で募金活動などをしていましたので、募金したのです。少しでも手助けになるかと思ったからです。
地震というのは一瞬で街をマヒさせてしまうものです。